映画の感想などなど

自分が観た映画の思ったまんまの感想。

death stranding その2

 無駄に長くなってしまってる。ダラダラと書いてもまとまらなくなるだけだが、まぁいいか。

前回でこのゲームの見た目についてまとめたので今度はもっと中身を。

 

 

《世界観》

https://m.youtube.com/watch?v=S3bpqlDEl6A

 語るよりこのPV見た方が早い。そーなんだけど流石にそれだとあんまりなので、出来る範囲でこのゲームの舞台設定について考えてみる。

 

↑のPVで示されてる通り、本作は近未来の北米大陸が舞台であり、「デスストランディング」と呼ばれる災害によって分断された都市を繋ぎ直し、滅びを回避しよう、ていうのが大まかなあらすじになる。

 そんな物語の冒頭で、小説「なわ」の一節が引用されている。

 

 「なわ」は、「棒」とならんで、もっとも古い人間の「道具」の一つだった。「棒」は、悪い空間を遠ざけるために、「なわ」は、善い空間を引きよせるために、人類が発明した、最初の友達だった。 ――安部公房『なわ』

 

 この引用からゲームがスタートするわけだけど、この文章を念頭においてプレイすると、作り手の意図がそこかしこに盛り込まれていることがよくわかる。

 

 まず、タイトルについて。

 strandという単語には「座礁する」という意味がある。

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↑鯨みたいな生物が浜辺に大量にうちあげられることを「mass stranding」と言うらしい。

 「death  stranding」というゲーム中の現象は、文字通りに「死」が世界に座礁してくることを指す。

 この世界では、死んだ人間は48時間以内に火葬しなければ、ネクローシスという状態を引き起こし、この世に留まる、「座礁」した存在の「BT」となってしまう。

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↑これが「BT」。早い話が亡霊。普通の人には見えなくて、臍帯のようなものに繋がれて現世を彷徨っている。

 本来この世に存在しないはずのものだから、こいつに現世の人間が取り込まれると対消滅をおこしてあたり一面がクレーターになってしまう。

 

 一方、「strand」という単語には、「より糸・なわ」といった意味もある。この、なわもこの物語の重要なモチーフとなっている。

 この「なわ」に関する重要なキーパーソン、いや、アイテムかな?として登場するのがBB。

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↑やはりこの赤ちゃんも臍帯で繋がれてる状態で登場する。

 BB(ブリッジ・ベイビー)の設定が可愛い見た目に反して結構エグい。

 この子、脳死状態になってしまった母親の胎内から28週以内に取り出され、成長をストップした状態にある装備品である。臍の緒は機械に繋がれて、脳死状態の母親の胎内環境を擬似再現させている。

 それ故にこの子は擬似的に死んだ母の胎内にいるため、産まれてきていない。→生きても死んでもいない→あの世の存在とも繋がっている。といった理屈で、あの世の存在であるBTの気配を感じとることが出来る。

 

 このキャラが最たる例だけど、「strand」=「なわ」=「つながり」というのが、このゲームの根幹にある。膨大な世界設定や用語も全てこれを表現するためのものであるといえるかも。

 

《なわによるつながり》

 では、ゲームとしてどのように「つながり」を表現しているか。このゲームにおける他者とのつながりを一言で表すと、現代のSNS的であると言える。

 現代のゲームの例に漏れず、このゲームもオンラインで他のプレイヤーと繋がってプレイすることができる。が、このゲームでは、安部公房の言う「棒」による繋がりは意図的に排除されている。「棒」つまり武器を手に他者と協力することは出来ない。

 モンハンのように強大な敵をよってたかって武器で集団暴行することもなければ、チームに別れてどこかのプレイヤーの頭を銃で狙うこともしない。

 何かを排除するためや攻撃する為のネットワークプレイをことごとく拒絶している。(ボス戦ではアイテムを投げてもらったり多少の協力はある)

 じゃあ何にネットワークを利用するか?それは旅の移動の際に残された誰かがそこに居たという緩いつながりである。

 デモンズソウルに痕跡を見るシステムがあるけど、ちょいとそれに似てるところがあるかも。ただ、それに比べると随分能動的ではあるかな。

 誰かが移動のために使った、梯子や登山用のロープ(ここでもなわ)をその場に残して、他の誰かがそれを使う。

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↑誰かがかけた梯子を使う。他にも「ここは危ないよ!」みたいな看板を立てておくと他のプレイヤーがそれを見ることができる。

 

 このシステム、うまいなと思ったのが、「カイラル通信」と言う設定。

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↑このドッグタグ風のアイテム『Qpid』を各地域の設備に接続していく。

 

 カイラル通信というネットワーク網を自力で歩いて繋いでいくのが、旅の大きな目的になるんだけど、この通信を各地域で繋がなければその地域の他プレイヤーの痕跡は現れてこない。

 これのおかげで、他のプレイヤーの残したモノでフィールドがいっぱいになったり、攻略手順のネタバレになったりする事がない。

 また、一度繋いでしまえば、帰り道のそこかしこに誰かの足跡と自分の足跡が重なり合ってたりと、直接一緒にプレイしていなくても誰かと繋がってる感覚を味わう事ができる。

 

 長いことプレイして、気づいた瞬間にちょっと感動したのが、何度も足を運んだルートが、他の人もたくさん通って、いつの間にか草が減ってあぜ道になっていたこと。これはちと凄い。

 システムとして、高速道路を復旧させて移動を楽に出来るんだけど、それ以上に感動した。自分の歩いた跡が道になる、これってなんか言葉にできない感覚。

 

 この自分と直接会うことのない人とが痕跡を辿って繋がる、っていうコンセプトが、とても現代的でSNS的な感じがした。

 さらに自分や誰かが残した足跡や設備には使った人が「イイネ」を送る事ができる。

 これは正直自分はどうでも良いと思ってはいるんだけど、自分が攻略のために設置したものに「イイネ」がたくさん付くと、まぁ悪い気はしない。

 と言うか、次第に「ここにこの設備を作っておくと、他の人たちも役立ててくれるんじゃないかな?」とか考えながら作るようになってくる。

 そんな緩いつながり、顔も知らない誰かのためにちょっとだけ優しくする。そんなSNSの良い面を抽出したようなシステムに「上手いことつくったもんやなぁ」と思わされてしまう。

 善きものをつなぎとめる「なわ」としてのシステムである。

 

 

《SFとしてのその他の要素》

 その他にも「棒」と「なわ」というコンセプトを軸に、実に様々な要素が盛り込まれているので、可能な限りで紹介。

 

『ミュール』

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↑いわゆるモブ敵の『ミュール』。

 かつては主人公と同じ配達人。分断された北米大陸では配達人は重宝され、感謝されていたが、感謝されることに取り憑かれて「配達依存症」になった人々。感謝されたいがために他人の荷物を奪ってしまおうとする本末転倒な方々。再生数やフォロワー増やすためにアホな犯罪行為起こす、痛いバカッターやYouTuberの象徴みたいなやつ。出てくるとわりと迷惑。

 こいつが居るからまともな配達人の主人公がより感謝されると考えるとちょっとあわれ。

 

『時雨(タイムフォール)』と『カイラリウム』

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↑掌のような形をした「カイラル結晶」

 この世界の雨は、あの世と繋がる(?)雨のため、通常の雨とは違う。触れた物や人の時間を奪う。つまり人間が時雨に触れると老化し、物体は劣化してしまう。同時に時雨が降るエリアはBTが出現するために人間には危険ゾーンとなる。

 あの世と現世では時間の概念が違うためにこういった現象が起きる。そして時雨やBTが現れた後に残されるのがカイラル結晶という物質。あの世の物質「カイラリウム」が結晶化したもの、と説明されるが、見ての通り掌によく似た形をしている。人体には有害なものだけど、旅の主目的のカイラル通信を繋ぐためには必要な存在。

 掌である意味。そもそもカイラルはギリシャ語で「手」という意味を持ち、カイラリティという学術用語もあるそうだ。

 カイラリティとは3次元の物体の鏡像は決して同一のものにはならない、という意味らしい。両手の手のひらを合わせると鏡合わせになるけど、両手を重ねても同一のものにはならないとかなんとか。

 要するにあの世の物質で本来現世に現れるはずのないものが掌の形を取って現れてるってことかな?自分自身よく分かっていない。

 

 掌のモチーフは本作中の至るところで見られる。

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↑主人公の全身にある消えない手形。プレイヤーによって数が違うっていう話聞いたがホントかな?

 

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↑BTが現れた時に出る手形。普通の人間には見えない存在だからこんな跡として認識される。

 

 

 じゃあ、何故掌なのか?それは、人が道具を使う際に一番最初に使う器官だから、じゃないかな。勝手な予想。

 人にとって最も古い道具が「棒」と「なわ」だとすれば、それを掴むのはどちらも掌。善きものも悪いものも手によって手繰り寄せられる。

 それには何かしらの人の意志みたいなもんが込められてるんじゃないかな。作中では不気味なもんとして出てくるけど何かしら必死さのようなものも感じられるし。

 

『ビーチ』

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 作中で何度となく出てくる風景。要はあの世とこの世の境目なんだけど、それが水辺というのが何とも日本的。海外の人からすると多少物珍しく映るかも知れない。

 このビーチの解釈が実に複雑で、基本的には人間は個々に別々のビーチを持つっていうとこから、そーではない存在もあって...正直この辺ややこしくて自分の頭じゃよく分かってない部分もある。

 物語後半ではこの『ビーチ』と『絶滅』がキーワード。これを巡って話が展開される。

 

 

 

 こんな感じで、軽く説明してみただけでかなりの量の設定がある。SFっていうジャンル自体がそういうもんなんだけど、どれも最終的には「なわ」によるつながりにたどり着く為のものと考えたら納得できるものが多い。よくまとめられたもんだと思う。

 

 

 

 

 

《この作品を取り巻く環境》

 本作は発売まで様々な紆余曲折を経ている。ノーマン・リーダス主演の「サイレント・ヒルズ」のお蔵入りから、メタルギアソリッドV未完成疑惑、んでもって小島秀夫監督の独立とプロダクション立ち上げ。

 こーゆー色々な事情を抱えて世に出た作品は、映画でもゲームでも正当な評価を受けにくくなってしまうもんだが、新規IPとしては十分な結果だと思う。

 キャストやゲームエンジンなど、様々な人とのつながりによって作られた今作が、テーマを「つながり」としていることには納得できる。

 

 

 

《難点》

このゲームで自分が感じた難点。

①やはりゲームとしてはムービーが長い。

 後述することにも関係してくるけど、やはりゲームとしてみるとラストのムービーは長い。演出映画好きとしてはノーマンやマッツの演技が堪能できるから自分は満足したけど、求めるものが違う層には受けないと思う。

 

②ストーリーを理解するのに時間がかかる。

 これはある種仕方ないところ。映画で時々あるパターンで、物語の舞台設定を殆ど説明せずに話が進行していく感じ。最近のゲーム以上にその傾向が強いから、普段自分から物語を考察して読み解くことをしない人にとっては理解が難しいと思う。その分最後のムービーで、映画なら説明しないところまでキャラクターが説明せざるを得ない分、最後のムービーが長くなってしまってる感はある。

 

③UIの文字が小さい。

 これはアップデートで対応済み。

 

 あとは小島監督が自己主張・自画自賛しすぎとかもあるかもしれんが、個人差ということで。だって公式サイト上のインタビューで作品へのコメントをする人があまりに凄い人達だからねぇ。

 「ghost in the shell」の押井守監督、「 the shape of water」でアカデミー監督賞・作品賞取ったギレルモ・デルトロ監督、先日公開された「スターウォーズ〜スカイウォーカーの夜明け〜」も担当したJ・J・エイブラムス監督。映画界の偉人達が好意的な評価してくれたらそりゃ自慢したくもなるわさ。

 

 

 

 

《まとめ》

 ゲームとしては、かなりトリッキーなこともやってるけど、今までのどんなゲームよりも旅をしてることを感じさせてくれた作品。得点なんかはつけないけど、個人的にはPS4世代のゲームとしては最高峰だと思う。

 間違いなく人を選ぶゲームであって、これを真似した作品とかは今後出ないんじゃないかなぁと思う。それでも、ゲームによる表現の可能性を広げたという意味では、ゲーム史に跡を残すゲームだと思う。

death stranding その1

「death stranding」

主演:ノーマン・リーダス

監督:小島秀夫

製作国:日本

発売:2019年

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 今回の文章はちと掟破り。映画ではなくゲーム。別に固定読者も居ないしルールも何も無いんだけど、本来は映画の感想のみ。今回だけ例外。

 というのも、今作は映画の表現手法と俳優をふんだんに盛り込んでる上で、ゲームプレイを成立させていて、どちらの面でも感想を述べるには良い作品だから。あと自分がわりと小島信者なところがあるから。(これ言うと荒れるからあんまり言いたくはない)

 

《ゲームとしての表現》

 このゲームに対する評価として、自分が敬愛する押井守監督が「映画は(ゲームに)勝てない」と言っていた。んなこたぁねぇだろう、とも思うけど、部分的には確かにもうそれに近い状況は最近チラホラ目にするようになった。

 

 かつて、ゲーム界が映画に少しでも近づけるためにビジュアル面の進化に躍起になっていた時期があった。いわゆるムービーゲーと揶揄されるようなゲームね。それが現在では、部分的ではあるけど徐々に逆転現象が起きている。

 

 全編一人称視点の明らかにFPSをイメージした映画「HARDCORE」みたいにビジュアル面や体感的な面でゲームに寄せた映画が作られたり。

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 海外ドラマではアドベンチャーゲームみたいに主人公の行動を視聴者が選択する実験的なドラマが作られたり。

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↑海外ドラマ「バンダースナッチ」。選択肢を選ぶことで物語の展開が変わるインタラクティブドラマ。

 映画とゲーム、両者の違いはどんどん薄れてきている。

 

 勿論映画には映画にしか出来ないことが多々ある。

 自分が映画好きなのは、作者の思想だったり主張だったり、表現したいものが鑑賞って手段を通して伝わってくるから。で、時折人生観そのものを変えるような作品に出会えるから。

 

 そんななかで今作は、ビジュアル面だけ観ると、現時点の技術では最高レベルで実写映画に近づけているムービーライクなゲームに見える。

 ...が、その実態は、製作陣が「これは映画ではなくゲームなんだ」ってことにとても自覚的な、間違いなくゲームとして作られたゲームである(我ながら変な表現)。

 

《ビジュアルが持つ意味》

 まず、ビジュアル面について。これに関してはもう見て!としか言いようがない。

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↑主人公:サム・ポーター・ブリッジズ

 うん、完全にノーマン・リーダスですよ。ウォーキング・デッドのダリルですよ。荒廃したアメリカをバイクで走るっつったらこの人かトム・ハーディか、ってくらいしっくりきますわ!

そして、

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↑裏の主人公的キャラ:クリフォード・アンガー

 コチラはマッツですよ、マッツ・ミケルセン!!北欧の至宝ですよ。このブログでも何度か紹介してる大好きな俳優。

 この2人がキャスティングされてる時点でもう半分俺のためのキャスティングかと!!

 

 脇役も含めてなんと贅沢なことか。興味ない人は知らないかも知れんが、ノーマンについてはウォーキング・デッド見たことある人なら言わずもがな。

 ハリウッド映画で言ったらマッツ・ミケルセンスター・ウォーズのローグ・ワンではキーパーソン役で出てるし、ヒロインのレア・セドゥは前作に引き続き来年公開の新作007のボンドガールだし、ゲームじゃなくて映画としても豪華なキャスト達。最初にキャスト公開された時には正直自分も「映画でやれ!」っ思った。

 

 と、ここまでなら他のゲームでも似たようなことやってんじゃん!て思う人もいるかと思う。例の「キムタクが如く」もそう。○○○が如くシリーズも実在俳優大勢使ってて、特にここ最近の作品はホントに本人と見分けがつかないクオリティになってると思う。

 ただ、あのシリーズ観てまず感じるのが『作り物感』。

 何か動くと違和感感じるんだよね。会話してても棒立ちだったり、プレイ中もいかにも「機械制御されてます!」って動きだったり...。キムタクが声出して喋ってても何かあやつり人形感が出てしまう。映画として観ると何か違うと感じてしまう。最新作の予告見ても人形感は抜けなかった。そもそも風景が...ね...。

 あ、だからってシリーズがダメって訳じゃないよ。ゲームとして観たら外連味たっぷりのアクションだとか、ゲームだから実際には有り得ない派手なこともできるし、やれば楽しくプレイできると思う。

 

 それに対して本作は、撮影に関しては本当に映画と同じ撮り方。f:id:rotti-k:20191209202722j:image

↑撮影風景。全身に球体を付けてるのは全ての表情や動きを読み取るため。

 

 パフォーマンスキャプチャで、俳優の表情だけでなく動きも含めて全ての演技を収録する。

 アバター猿の惑星新3部作、アベンジャーズとかでも行われる映画の手法。俳優の演技全体をデジタルとして再現させるので、動きもそのまんま。

 だから、たとえシーンによってサムが背中しか見えなくても、ちゃんとノーマン・リーダスの演技になってる。こういう撮影って、「ココにカメラがありますよ」っていうダミーも用意してて、俳優が実際に役に入って演技するから、キャラクターの演技がちゃんと生きている。これって実際結構な手間がかかってると思う。

 ちなみに他のゲームの世界でも「アンチャーテッド」とか「ラストオブアス」とかで同じことはやってる。けど、残念ながら日本国内の作品でパフォーマンスも有名俳優が生の演技でやってるのはあまりないかな。

 

 ここまで書くと「やっぱり映画を真似て作ったただのムービーゲーじゃん!って思うかも知れない。だけど、いざゲームをプレイしてみると、ちょっとした仕草さえも重要な要素をもってることに気づく。

 

 これだけのクオリティのビジュアルを持っていてゲームである意味。それは、プレイした人にしかなかなか感じられないこのゲーム独特のプレイ感覚とシステムにあるように思う。

 

《システムとゲームエンジン

 これだけのクオリティのビジュアルを作り上げることができたのは「ホライゾン・ゼロ・ドーン」を作り上げたゲリラゲームズのDECIMAエンジンの賜物である。小島監督が訪問した際に契約も結んでないのにソースコードを渡したっていう、企業としてあるまじき...いや、クリエイターとしての素敵な心意気で実現したコラボらしい。

 このエンジンが描く自然と人物が作品を形作ってるわけだけど、このフォトリアルな描画と今作の志向のバランスがめっちゃ良かった。

 

 このゲームは、主人公「サム・ポーター・ブリッジズ」が、荒廃した北米大陸を横断しながら配達人として様々な荷物を背負って歩く、というのが物語の核となっている。

 荒野を途中途中で配送ステーションのプライベートルームを利用して休みながら進んでいくんだけど、この休憩がなかなかのキモ。

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↑こんな感じの部屋で休む(システム的にはセーブと回復、荷物や情報の整理などを行う)。

 

ここで、シャワーを浴びたり...f:id:rotti-k:20191209235503j:image

モンスターエナジーを飲んだり...

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 色んな旅支度をしていく(勿論ちゃんとシステム上のメリットもあるから度々利用することになる)んだけど、ここも全てノーマンの演技をキャプチャーしてる。『立つ』『座る』『鏡を見る』といった仕草や表情も全て本物。これがここまでリアルな描写で表現されるとどうなるか...。

 

 主人公サム(というかノーマン)とホントに旅をしてる気分になるんだよね。ここが多分一番大事。

 基本一人旅で、主人公は自分の分身なんだけど、この休憩をしてると、不思議とノーマンと一緒に旅をしてる気分になる。動きも表情もホントにノーマン・リーダスそのものだからなおさらそう感じる。

 次の目的地までどんなルートを通るか、装備は何を準備していくか、など普段バイクに乗る自分からするとツーリングの準備してる時の感覚に近い感じがする。

 

 

んで、いざ旅を始めると...f:id:rotti-k:20191210001047j:image

 見渡す限りこんな景色を一人でひたすら歩く。

 重量の概念があるので、一度に運べる量に限界があるし、バランスを崩すとすぐに転んで荷物に傷をつけてしまうので、最初は歩くことそのものに苦労する。

 その点で言うとこのゲーム、主人公の挙動さえ可能な限りリアルに作られてるから、他のゲームに比べると非常に不便wwアサシンクリードみたいな超人的なな身体能力も殆どない。なので、稼ぎ目的以外ではホントにバトルを避けたくなる。だから初めて行く場所では自然とゆっくり歩いて移動することになる。

 

 そうやって苦労した先に目的地にたどり着く頃の景色がこんな感じ。

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 遠くに建造物が見えはじめて大きな移動が終わる時、ホントに絶妙なタイミングで楽曲が流れてくる。

 このときの演出がもう...ね。わざわざ曲名まで表示してあまりに狙い過ぎなタイミングで音楽が流れてくるんだけど、この瞬間がこれでもかってくらい映画的な演出なのに、ゲームでしか味わえない不思議な感覚に包まれて、恥ずかしい話泣きそうになる。

 

 それは楽曲提供してるLOW ROAR とかSILENT POETSの曲がどれも良い曲ばかりだからだけではない。

 

 自分は音楽が聞こえはじめたら自然と画面をキャラクターの背後に向けてしまう。というのもA地点からB地点への目的地そのものは変わらないものの、プレイによって通る道は千差万別。ここがゲームならではで、振り返ると自分が色々考えながら通ってきた道を見ることが出来る。

 そして前を向くと到着予定地が近づいてくる。旅行の終わりの時のような何とも言えない寂しさすら感じる。

 過剰なくらいの人物と風景のリアルさへのこだわりは多分この感覚を味わせたいがためのものなんだろう。

 ゲームならではの『達成感』や「没入感』を強くする為のツールとして、映画の手法を取り入れる。そんな狙いがうまく機能してるなぁと思う。

 

 長くなったので、いったん終了。

次にシナリオ面とシステム面の感想を。

 映画と違ってこちら側からの働きかけがある分ゲームの感想って真面目に書くと大変。

ジョーカー

「ジョーカー」

原題:「joker」

主演:ホアキン・フェニックス

監督トッド・フィリップス

製作国:アメリカ合衆国

公開:2019年

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バットマンシリーズの懐の深さ》

自分も全て見たわけではないけどアメコミの中でも特にバットマンは色々な広がり方をしてる。アメコミの実写化って言えばアベンジャーズの様な大作アクション映画になりやすい。面白いし、派手で楽しめる。バットマンシリーズもそんな中の1つ。ド派手なバットモービルで駆け回ったり、撮影のために本当にスタジアム一個爆破したり。

そのシリーズの中でもほぼ独立した今作はスリラー映画。サスペンス映画と言ってもいいけど微妙にちがうかな?

DCコミックが元々「Detective Comics」だったこと考えると当然っちゃ当然なんだけど、これほど振り幅が大きいと、賛否は分かれてしまうんだろうな。アクション皆無で終始画像暗めだし。

とはいえ、これだけ話題になってて、予告も散々流れてるなかで、今作にジャスティス・リーグ的な盛り上がりを期待して映画館に足を運ぶ人は悪いけどおバカですわな。

 

《ジョーカーのキャラクター性》

バットマンの宿敵で、アメコミのヴィランの中でも最も人気者の1人であるジョーカーの特徴の1つに、アイデンティティがとても曖昧であることが挙げられる。

例えばマーベルヴィランマグニートーは、ホロコーストの生き残りのユダヤ人である、とか。ヴェノムは宇宙からやってきた寄生生物で地球上では誰かに寄生しないと生きていけない、とか。勿論長い年月をかけて設定が練られていったんだろうけど、最近の悪役はわりと出自がわかりやすい。悪に堕ちた理由も含めて。

 

それに比べるとジョーカーは作品によって出自がコロコロ変わる。まず本人が語る言葉は殆どがジョークで自己紹介は信用出来ないし、作品によって事故で顔が白くなったとか、一体どれがジョーカーの正体なのかとてもわかりにくい。

00年代にその後の映画作りそのものを変えてしまった「ダークナイト」のヒース・レジャー版ジョーカーは、設定からして出自も身元も全てが謎。バットマンを追い詰める狂人として、ひたすら不気味に描かれた。何のバックボーンも持たせずに演技力のみであれだけのキャラを作り上げたヒース・レジャーはやっぱ恐ろしい俳優だった。

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ジャレット・レト版は同じく狂人ではあるけど、出自にもある程度触れて、「スーサイド・スクワッド」のポップなノリに合わせた面白いアレンジだった。んで、若い。(個人的にはもっかい観たい)

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こんな感じで映画の中でも出るたび見た目も中身も変わるジョーカーだけど、本作はジョーカーという狂人の起源、コミックだったらタイトルに「origin」てつきそうな物語。その中身は...。

 

 

《ジョーカーが生まれる世界》

今作では、ジョーカーは一貫して社会的弱者である。ただし、世の中で取り沙汰される弱者ではなくて、社会から弾かれて顧みられることのなかった弱者。

自分の意思と無関係に笑ってしまう障害(実際には障害とは違ったわけだが...)に周囲の理解を得られず、社会的保障を受けられず、だれからも見てもらえない中年。

この人物像は観る人の立場によって、共感的に観ることができる人とそうでない人がはっきり分かれそうな気がする。

少なくともいわゆるアガリを決め込んでるアメリカの上級国民様たちにはジョーカーの言動の意味を理解することは難しい。

その一方で大多数の一般市民でも、ジョーカーのことをどう捉えるのか...。

 

※以後人権的にやや不適切な表現があるので、不快な人は見ないでください。

この映画に出てくる人物達の中にはいわゆるマイノリティがチョコチョコ出てる。差別の対象になってる人も。でも、劇中では、主人公アーサーよりは救いがある。

シングルマザーの黒人女性は貧しいながら職業を持って働きに出ているし、小人症の男性も、真っ当に働いており職場の人間との関係も良好である。ある意味アメリカの現在をわかりやすく表現してる。

アメリカでは障害者や性的マイノリティ、人種差別に対して過剰なまでに人権団体が口出しするもんだからそう言った人の声は少数でもよく届く。

勿論歴史的に長い年月をかけた努力の賜物なのは間違いないんだけども。

それが、現代の世の中では映画に黒人が登場しないだけで差別と騒がれ、ドラマにゲイが登場しないと訴えられ...自分自身でマイノリティと言うわりに声高にアピールしてる分優遇されてるんじゃねーか!と言いたくなる事もある。

いや、勿論自分も差別を許さないって言うのは同意なんだけど、なんかモヤモヤする。

 

それに比べると本作のジョーカーは本当の意味でなにも配慮されていない。

アーサーは白人で、母親を介護しながら暮らす2人暮らしで、不気味で、コメディアンを目指してるもののただバカにされるだけ...この人物はホントの意味で誰からも眼を向けられていない。

そんな人物は実際の世の中でも顧みられることはない。

 

この映画を社会的に読み解くと、2017年公開の「スリー・ビルボード」に少し似た雰囲気があることに気づく。

アメリカの社会におけるサイレント・マジョリティの叫び。そのどうしようもなさがジョーカーの笑い声に込められてる気がしてしまう。

 

とはいえ、そんな御大層な見方をしなくてもこの映画は十分面白い。裏のメッセージまで深読みしようとするのは映画を純粋に楽しむためにはあんまり良くないよなぁ。

 

バットマンの前日譚として作られたドラマ「ゴッサム」もなかなか面白いけど、今回この映画が大ヒットしたことで、アメコミの実写化はさらに別の方向での可能性を示した。早くも続編の企画が立ち上がってるらしいし今後も楽しみだ。

偽りなき者

『偽りなき者』

原題:『JAGTEN』

監督:トマス・ヴィンターベア

主演:マッツ・ミケルセン

公開:2012年

制作:デンマーク

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この映画、元々予告の部分だけは見てたから何となくあらすじは知ってたんだけど、自分の職業柄ゆえになんか怖くて今まで避けてました。でも、北欧の至宝マッツ・ミケルセンが主演なのがやっぱり気になって見てしまった。

 

観た結果......うん、すご〜〜〜く暗澹とした心持ちになった......。

 

《あらすじ》

主人公マーカス(マッツ・ミケルセン)は、デンマークの片田舎で暮らす中年男性。離婚して息子とも離れて暮らし、勤めていた小学校も閉鎖され、幼稚園教師として働いている。

家には愛犬いるのみだが、猟友会の古くからの友人たちと酒を飲み、仕事では子供と一緒になって遊ぶ穏やかな生活を送っている。

マーカスの親友、テオの娘のクララもその幼稚園に通っているが、いつも優しく面倒をみてくれるマーカス先生に淡い恋心を抱く。

幼稚園の部屋で遊ぶなかで、大好きなマーカスにキスをして、プレゼントも渡す。

マーカスは驚いたが、勿論幼稚園児のチビッコ相手なので、「プレゼントは好きな男の子かお母さんに渡しなさい」「唇へのキスはダメだよ」と優しく諭してあげる。

(ここまでだったら、ただの可愛らしいほっこりエピソードで終わるんだけどなぁ...)

 

ところが、このやんわり諭されたのが気に食わないクララは、女性の園長先生に「マーカスは嫌い」といじけて言ってしまう。

それどころか、あろうことか「マーカスに性的な悪戯を受けた」という嘘をついてしまう。

 

勿論園長はビックリ。その後マーカス本人にも、専門家にも話をして警察沙汰に。マーカスはあくまで自分は何もしていないと言うものの、狭い田舎町の人々は彼を変態扱いしてしまう。そこからは...地獄......。

これ以上書くのは辛い...。

 

 

 

《酔っ払いと子供は嘘をつかない》

デンマークの諺だそうです。何とも皮肉...。

子供とは無垢で無邪気な存在である。というのは、どの国でも共通する認識だと思う。この無邪気さがこんな恐ろしい事態を引き起こしてしまうってのは、自分の経験上非常に身につまされるものがある。怖い怖い...。

クララはちょっと拗ねただけ。言葉が違えば笑って済ませるような可愛いもの。幼児がやってないことを「やったもん!」て嘘つくのはよくあることでしょ?

でも、それが『マーカスがいきり勃ってる〇ん〇んを見せてきた』って内容だと大人の反応も変わってしまう。(お下品な表現で申し訳ないがほぼそのまんま)

これをみんな「子供は嘘をつかない」から信じてしまう。

 

で、また怖いのが、大人たちがマーカスを休職に追いやって、どんどん大ごとになっていくうちに、「わたしホントはそんなことされてないよ」と言っても今度は大人たちがそれを聞いてくれない。

「クララ、いいのよ。とても辛い経験をしたから記憶が混乱してるのよ。そんな嫌な目にあったのに最初に教えてくれてよく頑張ったわ」.

こんな具合。

 

さらにさらに恐ろしいのが、周りの大人がそう言うので、クララ本人も自分が言ったことが嘘か真実かよくわからなくなってしまうんだよね。

これ、小さな子供を持つ人はわかるんじゃないかな?幼児期の子供って経験と想像を同じものとして認識する事が間々ある。その無垢さが、真実をますます見え辛くさせ、マーカスを追い詰めていく。

 

《JAGTEN》

この映画の原題『JAGTEN』はデンマーク語で『狩り』を意味する。この映画見終わった後で調べてみたんだけど、やっぱりこれ、邦題のセンス酷いな...。

物語の途中で、主人公マーカスは逮捕され、取り調べなどを受ける。この時点で、邦画だと『それでも僕はやってない』みたいな冤罪を取り扱ったテーマにシフトするのかな?と思ってしまったんだけど、完全に邦題詐欺である。

 

この映画は『冤罪』を主題にした作品ではない。だから、取り調べの様子や裁判などは一切描かれていない。車に乗せられるところのみ。

それはこの映画が真実を見極めることをメインに取り扱ってるのではなく、『狩り』を主題としているから。

物語冒頭と終わりに鹿狩りをする姿がモチーフの様に現れて来るんだけど、果たしてこの映画の中で『狩るもの』は誰か?『狩られるもの』は誰か?

人が狩る側に回った時の集団心理の怖さを思い知らされる。

 

この映画に悪人は居ない。子供の面倒を優しく見てあげる教師も、先生へ自分なりに愛情表現をする子供も。子供を性的虐待から守ろうとする親も悪くない。描き方故に園長の潔癖さが嫌だと言う人も居るかも知らんが、自分の教え子や子供が同じ立場になったら多分同じような行動をすると思う。

ただ、人が《狩る側》に回った時、それが集団だった場合、ここまで悲惨な状態になるのか、と凄く暗い気持ちになる。

 

デンマークは北欧に位置する国で独立心の強い国であり、劇中でも大人の仲間になる時に、親から猟銃を受け取り鹿狩りに行くといった描写がなされる。

ただ、この映画に登場する町は、実に日本に似た感覚を持ってるなぁと感じた。

主人公マーカスが、証拠不十分で釈放された後も、彼は町の人間から徹底的な村八分を受ける。そもそも小さな町で、殆どのひとが顔見知り。そんな中でスーパーの肉の購入すら断られ、精神的にボロボロにされていく。(観てるこっちも精神的にかなりキツイ)

この村八分、マーカスの愛犬を殺したり、家に石を投げたりかなり陰湿。これってなんだか最近急に増えたツイッターとかでの『私刑』になんだか似てるな、と思った。

 

果たして『狩り』はただの私刑なのか、魔女狩りなのか。

 

《北欧の至宝マッツ・ミケルセン

この映画の一番凄かったのはやっぱり俳優の演技。

マッツ・ミケルセンの教会でのこの表情。

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この場面、もうなんだか観るのが辛い。どうしようもない気持ちにさせるんだけど、やっぱりこの顔と表情ね。この人イケメンなのになんだか哀愁漂うんだよなぁ。

今度発売されるゲーム、「デスストランディング」に出演するんだけど、そっちも楽しみ。今かなり注目してる俳優さんの1人です。

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《最後に》

この映画のラストシーン、銃声の意味を考えれば考えるほど暗い気持ちになってきた...。

観なければよかったかもしれないけど、見応えはあった。

007 スカイフォール

「007 スカイフォール

原題:skyfall

監督:サム・メンデス

主演:ダニエル・クレイグ

公開:2012年

製作:イギリス・アメリカ合衆国

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《スパイ映画》

この映画を語るにゃあまりに知識がない。シリーズファンに叱られる内容になるかも。

自分の年代だとジェームズ・ボンドと言えばこの人のイメージ

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ピアース・ブロスナンのボンドがイメージが強かった。多分、当時子供だった自分たちにはニンテンドー64の「ゴールデンアイ」が好きって人が多かったから、ゲームから知った人もいると思う。

この人のゴージャスな感じ、色男っぷり、英国紳士な感じ。このイメージが強かった。

 

で、現在のボンド役、ダニエル・クレイグ。最初に決定した時は結構批判的な人が多かった。自分も正直違和感あった。

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批判としては身長とか、歴代初の金髪だとか。そー言ったところ。

ただ個人的に違和感あったのが佇まいが全然先代と違ったってところ。

色男というよりは哀愁漂う顔立ちだし、あんまりゴージャス感がない!てのが気になるとこだった。

 

だった。

 

今では世間的にも認められてるし自分も一番好きなボンドになった。

 

ダニエル・クレイグ版ボンド》

ハードボイルド!この一言に尽きる!

先代に比べて野生的で、観てるうちにこれこそスパイ映画じゃん!と思わせられる。

これまで4作公開され、来年公開予定の5作目で彼は引退するらしい。

一作目「カジノロワイアル」で、新しいボンド像を見事に作り上げ、自分はDVD買ってしまう位にはハマった。

(個人的にはカジノロワイアルはマッツ・ミケルセンが強烈すぎてボンドが霞んでしまってたけどww)

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《シリーズの新と旧》

そもそもシリーズとしてはダニエル・クレイグ版007はかなり特殊。お約束をあえて破ったり、逆に古い作品のオマージュを入れたり、長く続いてるシリーズを変えようとする意欲に満ちたシリーズになってる。

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お約束の映画冒頭のガンバレル・シークエンスを出すタイミングを変えたりシリーズで初めてストーリーを繋げた続編(慰めの報酬)を作ったり、新しいことにチャレンジして上手いこと料理しきってる。

 

かと思えば、原作のセリフ通りにボンドカクテルを作らせて、物語の要所で出したり、昔の映画の要素を引っ張り出したり。

そもそもがマンネリとの戦いのこのシリーズ。

新規の人も古参の人も取り込む、ってすっごい難しいことやと思うけどよく出来てるわ。

ちなみに次回作のスペクターではかなり原点回帰してる。どちらも面白かった。

 

 

どのボンドも共通してるのは...出会った女性とすーぐ寝ることやなww

 

スカイフォールの立ち位置》

結果的に全5作になるけど、クレイグ版ボンドは3作目「スカイフォール」は、かなりのお気に入り。多分当時は3部作構成だったんだろうと思う。

007の物語的にもスケール的にも集大成。内容こんだけ盛りだくさんでよくまとめられたな、と思う。

007の失脚と復活、mi6の存亡、ボスのMの物語上の決着、旧mi6メンバーとの対決、新世代の活躍、次回作への勢いづけ、そして殆ど今まで触れられなかったボンドの過去。

2時間半にどんだけ詰め込んでんの?ww

個人的には名女優ジュディ・デンチさんが(スペクターでカメオ出演してた気がするけど...)もう「M」を演じること無いのかと思うと寂しい気持ち。だから尚更集大成感が強い。

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《作風について》

前作「慰めの報酬」は、自分のイメージだと007版のボーン・アイデンティティだという認識。一番リアル志向に寄ってて、トンデモ兵器も一切出てこず終始現実的(?)でシリアスな展開。好きだだだけど評判はそんなに良くないらしい...。

一方、今作「スカイフォール」は、地に足をつけた物語展開はそのまんまで、要所要所に007らしさが垣間見れる。

指紋認証のついたワルサーPPKだとか、往年のギミック付きのアストンマーチン

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今作でダニエル・クレイグ版ボンドが完成したって言ってもいいのかも。やっぱこーゆーのあってこその007だよなぁ。

 

《決着の場所 スカイフォール

改めて見返してみると、この映画、映像が凝っててすごく美しい。終盤、ボンドの生家のある集落「スカイフォール」に行くんだけど、これがすごく景色が良い。スコットランドの寒々しさ、薄暗さが綺麗に表現されてる。物語の展開にも合ってるし、よく考えて撮られてると思う。

途中の無人島も当初の予定通り長崎の軍艦島で撮影してくれてたらな〜。

 

《スパイ映画大好きです》

007は相当長い歴史を持つ映画シリーズだけど、未だに面白い。この「スカイフォール」で満足したけど、次の「スペクター」も原点回帰した上でさらに面白いもんを見せてもらった。

 

そしてダニエル・クレイグ版ボンドの最終作が来年公開予定。ミッション・インポッシブルの新作も2021・2022年に連続公開予定。スパイ映画まだまだ観たいもんだらけで楽しみ。

 

 

 

 

で、誰か早いとこコナミから権利買い取ってハリウッドで全力でメタルギアソリッド実写化してくれませんかねぇ...。

search/サーチ

『search/サーチ』

原題:searching

主演:ジョン・チョー

監督:アニーシュ・チャガンティ

公開:2018年

製作国:アメリカ合衆国

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映画の表現方法って実に多彩だ。「ブレアウィッチプロジェクト」のようなホームカメラ風、実写を敢えてアニメ調に加工する、あるいはその逆、定点カメラ。個人的にお気に入りはこのブログで最初に紹介した全編車内映像のみの「オンザハイウェイ」。日本ではワンカットの長回しで映画界の話題をかっさらってった「カメラを止めるな!

この手のちょっと特殊な手法で撮影された映画で面白くなる条件は、「その手法に必然性があるかどうか」。一発狙うためだけの映像トリックは、物語そのものに魅力がないと一瞬で陳腐化してしまう。

そういった意味では、この映画ほど映像に説得力を持たせることに成功してる映画はなかなか観られないと思う。

 

《映像の特徴》

日本のセンスない文字だらけのポスターみれば分かるけど、「search/サーチ』は全編PCの画面上で物語が展開される。

主人公の行動や会話も、基本的にPC上の文字や動画で全て表現される。

一部「これをPCの画面上で写す必要あるの?」ていう場面もあるにはあるけど、一応の理由付けはされてるし、後述の理由からあまり気にならない。というかこの映画においては全然アリ。

 

《物語の展開》

ストーリーとしては、ある日突然連絡が取れなくなった娘を、妻と死別した主人公が探すっていうサスペンス。事件を追ううちに父親が知らなかった娘の姿が明らかになっていく。

このストーリーがつまんなかったらどれだけ凝った映像作ってもダメなとこなんだけど、これがなかなか面白い。ミステリーとして十分。結末に多少の強引さもあるけど、そこに至るまで「日付」「天候」「画像」「文字」とか至る所に伏線張り巡らせてて、上手に纏め上げてる。

そういう意味では自然とPC上の情報を見逃さないように画面に釘付けになるこの手法の相性が凄くいい話作りだった。

今や相当な数いる韓国系アメリカ人を主人公に据えてるのは今のアメリカを示す上でもなんだか意味ありげ。政治的な事は知らんけども。

 

《画面越しであることの怖さ》

この作品の一番のポイント。16歳の娘と連絡が取れなくなった。そもそも事件性があるのかどうかもわからない。最初はとにかく連絡を取ることが一番の目的になるんだけど、その描写が実に現実的。

高校にもなると実の娘の交友関係もわからない。娘を知る人物と連絡を取りたいけど、誰に連絡取ればいいかわからない。

娘のPC上のSNSから痕跡を辿る。

フェイスブックとかインスタグラムのアカウントから探したいけどパスワードがわからん!

再設定しようとしたけど、再設定の確認メールが送られてくるヤフーメールのIDがわからん!

ヤフーメールのID取り直して...

っていう、パスワード忘れてしまった時によくあるたらい回し。これがサスペンスになると実に焦らされる。ほんっとあるあるだよねこーゆーの。

 

全て画面上で展開されるから、PCちょっとでも使ったことある人は感情移入もしやすいんじゃないかな。

 

少し前ならこの映画は成り立たなかった。

FaceTimeみたいなテレビ通話が気軽になったから、画面上に話をしている人物の顔が映る。

SNSが身近になったからこそ、個人の繋がりを表面上はわかりやすく、実際の人間関係は謎に満ちたものとして表現出来る。

この映画がやりたい事と、世間一般の色々な技術の普及が一致してる現代が、一番この映画を作るのに良い時期だったんじゃないかな。

 

一部話の展開上PCから離れるタイミングでは、カーナビの表示やケータイの通話画面に切り替わる。この辺多少強引な感もあるけど、実際映画観てるとそんなに気にならないかな。

 

アメリカ合衆国という国》

アメリカが舞台の映画でよく見る光景。子供が行方不明になったからボランティアを募ってローラー捜索をする場面。これホントに多い。

「グリーン・マイル」「プリズナーズ」「ゴーン・ガール」(これは子供ではないけど)ぱっと思い浮かんだので三つだけどまだあると思う。

というのも、多分この映画で描かれてる誘拐・失踪事件ってアメリカではありふれてる出来事なんだよな。

アメリカの年間の未成年者失踪数、80万人だそうだ。報告されていないものもあるってことを考えたらもっと多いはず。

だから日本よりボランティアで子供を探すことが日常的になってる。んで、親も普通に顔出ししてる。このアメリカ特有の感じ、合衆国の「闇」を上手いこと使った映画だな〜と思った。

日本じゃ子供を発見したおじいちゃんが暫くテレビに出ずっぱりになる位には、捜索って珍しいことだから、正直観ていて異常な感じにも見えた。

 

《まとめ》

「オンザハイウェイ」主人公を車の中だけに限定したもの、「カメラを止めるな!」は主人公たちをワンカットの中に限定したもの。この2つは登場する人物に何かしらの制限を課したもの。

それに対してこの映画は、観客が得ることのできる情報をPC画面にのみ制限したもの。観客に制限をかける珍しい映画だった。少なくとも自分は退屈には感じなかったし、面白い映画だった。

 

 

忙しすぎて文章書き終わるまでにひと月かかっちまった。

アベンジャーズ/エンドゲーム

アベンジャーズ/エンドゲーム』

公開:2019年

主演:ロバート・ダウニー・jr

        クリス・エヴァンス

監督:アンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソ

制作:アメリカ合衆国

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どうやら全世界の映画興行収入でまた記録が更新されそうである。MCU第22作目、一応の完結編で話題性充分。キャストもほぼ総出演、バジェット的にも今のハリウッドで最大規模の超大作。期待度的にみても今年最大の話題作になるのは間違いない。ので、流石に映画館で観てきた。

 

で、流石にこの映画に関してはネタバレは良くないので、全体的な感想がメインかな?

 

《エンドゲーム》

まずこの映画、タイトル通り最大の目的は『20作を超える巨大シリーズを一度終わらせること』である。

理由は...

①ヒーローの数が増え過ぎて物語として収拾がつかなくなりそうなこと。

②初期から出演してた俳優の出演契約が満了すること。

③単独映画としてはもうすでに完結していて掘り下げるのが難しくなってきたヒーローも複数いること。

 

ざっと挙げてもこれくらい理由が出てくる。そもそもこのユニバース化自体、映画の手法としては大掛かり過ぎてどこかでリセットかけないと絶対ムリが来るからね。

③については、スパロボで原作再現しなくてもとりあえず参戦してるアムロ・レイを想像すれば何となくイメージ湧くだろうか。

ゲームならそれでも何とかやれるけど、映画ではそうもいかない。②で現実的に出演が最後になる俳優はわかってたことだけど、ロバート・ダウニー・jr始め最初にこのユニバースに登場した俳優たちがどうやってMCUから去るのかが最大の焦点になる。

 

《この映画の主役》

大勢のキャストが入り混じった群像劇で、基本全ヒーローが主役なんだけど、物語としてはメインの主役級は何人か挙げられる。

アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ハルク、ソー、ホークアイ、ブラック・ウィドウ。この辺りかな。

ずっと観てた人はわかると思うけど、最初にヒーローが集結した「アベンジャーズ」(2012)に登場したこの6人。この6人が前作『インフィニティ・ウォー』の衝撃的なラストで生き残ってた時点で「あぁ、次回作はこのキャラ達の決着をつけさせる映画になるんだな」というのがすぐに予想ついた。

特にアイアンマンとキャップはずっとシリーズの中心に居たからどう彼らの物語に決着つけるのかはかなり楽しみにしてた。

 

《物語の内容》

ネタバレなしにすると文章にするのがなかなか難しい。

前作のラスト...

人類最大級の敵「サノス」との戦い。6つの特別な力を持つインフィニティ・ストーンを全て手に入れたサノスによって全宇宙の生命の半分が消滅し、アベンジャーズは敗北した。

生き残った人々はどう立ち上がるのか。

 

てな感じ。

 

ただ、予告編を観て、社長が地球に帰還する道のりとか、サノスへのリベンジが物語のメインになると思ってた人は開始15分くらいであっけにとられると思う。

わりと予告編の内容はあっさり終わってすぐに次の流れへ...なんといっても中身が盛りだくさんすぎて、3時間の上映時間でも相当駆け足じゃないと消化できん。

 

《マーベルの余裕》

この映画、終わらせるための映画だからその気になれば100%シリアスモードでいくことも可能だったはず。けど、蓋を開けてみるとギャグシーンの多いこと多いこと。観に来てたちびっ子たちのケタケタ笑い声も聞こえてくるくらい。人によっちゃそれがイヤに感じるかも...ホントにゲップが出るくらいアメリカンなジョークやギャグシーンが多い。

物語的にはかなり暗い話なんだけど、あくまで娯楽映画だってのは変わらなかった。

そこは、マーベルの「俺たちゃダークナイトとは違う形でいくもんね〜」っていう余裕を感じる。ディズニー傘下に入って事実今の映画シーン支配してるからねぇ。

 

《この映画のちと気になったところ》

めちゃくちゃ面白かったのは間違いないんだけど、難点もあった。

まず、もうこれは上映前からわかってたことだけど、ヒーロー一人一人の描写がこれまでに比べてめっちゃ薄味になってしまったこと。

もうヒーローヒロイン合わせて30人くらいのメンバーが集結するわけだから仕方ないことやけど。さっき挙げた6人に焦点絞った分、前作で消滅したメンバーの描写はホントにあっさり目。カンバーバッチ様の出番少なすぎ!って女性ファン文句言うんじゃねーかな?

 

もう一つ。やっぱり3時間は長い...。もうずっと尿意との戦いだった...これも完結編としてはどーにもならんことだったと思う。それでも展開駆け足だったってことはどんだけ内容盛り込んでんだって感じ。前作と合わせて三部構成でもよかったくらいにたっぷりの内容だった。

ただ、これは問題点にはあんまりならないかな。変な矛盾点とかもなく、全て納得いく形で終わらせたし。←これって実際とてつもなく難しい。脚本的に過去の作品との繋がりも強いし、見せ場も各キャラに作らないかんし...よくこの形に収められたなと正直脱帽。

 

《見どころ》

軽くネタバレになってしまうけど、この映画の最大の見どころはやっぱり全てのヒーローが集結して最後の闘いに挑むところ。王道中の王道な展開だけどやっぱり興奮した。

実はこの映画、バトルシーンはかなり少なめなんだよな。前作で人類が大敗して、それを取り戻すためのアレコレがメインでわりと地味な展開が多い。

その分溜めに溜めたラストバトルはホントにド派手。

何よりこれまでシリーズ通して多分使われてなかった決め台詞、

アベンジャーズ アッセンブル!」

をキャップが言うんだよ。珍しく映画館内で「オォっ!!」て声出してしまった。

そこのバトルに関しては全ヒーローが大活躍して見せ場も詰め込まれてるからやっぱりそこでも興奮。キャプテン・マーベルは強さの次元が違いすぎてもうwww

 

《社長とキャップ》

アイアンマンこと、社長トニー・スタークとキャプテン・アメリカこと、スティーブ・ロジャース。この2人をアベンジャーズの中心核として物語を追ってきたけど、この2人にもそれぞれ別の「エンド」が用意されてた。

社長については、やっぱり最後まで「責任」を全うした最後だった。前作でスパイダーマンを、というか子供を闘いに巻き込んで失ってしまったことを最後まで悔いていたところとか、すごい人間らしい描写が多くてあの最後。細かくは書かないけど、自分としては凄く納得いく最後だったかな。

 

そしてキャップの「エンド」。これが凄く素敵な終わり方だった。原作では暗殺されてたりする彼だけど、映画ならではのちょっと哀愁漂うハッピーエンド。色んな描かれ方(政治的な意味でも)されてきた彼にとって一番幸せな終わり方だったんじゃなかろーか。

この超大作映画のエンドロールが、キャプテン・アメリカの本来の時代、戦前のアメリカのオールドミュージックで静かに終わるのは製作陣の心意気だな、と思った。

 

MCUのこれから》

この映画で一先ず物語の区切りがついた。が、すぐに「スパイダーマン:ファー フロム ホーム」の公開が控えている。

ドクター・ストレンジブラックパンサーの続編も作られてるらしい。どこまでこの世界が広がっていくのか楽しみではあるけど、この手法でこのまんまでずっといけるのだろうか?2時間の映画としての枠が取り払われつつある今の映画業界で、どんな形で続いていくのか。それも含めて今後が気になるなぁ。