映画の感想などなど

自分が観た映画の思ったまんまの感想。

東のエデン

東のエデン 劇場版I The King of Eden』
原作:神山健治
監督:神山健治
制作:Production I.G
公開:2009年11月28日
上映時間:82分


映画:東のエデン 劇場版II Paradise Lost
原作:神山健治
監督:神山健治
制作:Production I.G
公開:2010年3月13日
上映時間:92分

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《00年代》

令和になってからしばらく経ち、もうすでに2000年以降生まれの大人が存在する今に敢えてこの作品を振り返ってみる。この作品を観ると、日本にとって、00年代というものが一体どんなものだったのかわかる気がする。

 

もう10年以上前の作品なんでネタバレOKで書きます。

《簡単なあらすじ》

この作品はTVアニメ1クールとその後を描いた劇場版2つで構成されてる。

【テレビ版】

舞台は(当時の)ちょっとだけ未来の2011年。卒業旅行でアメリカのワシントンD.C.を訪れた森美咲。トラブルに巻き込まれかけていたところを全裸で記憶を失い銃とケータイだけを手にした青年、滝沢朗に出会い、彼の機転により救われて共に日本に帰ることになる。(これだけ読んだらめちゃくちゃや...)

滝沢朗と行動を共にしていくうちに、彼がセレソンゲームなるものに巻き込まれていることを知り、次第に彼の唯一の理解者となっていく。

このゲームを通して、滝沢朗は「この国の王になる」ことを依頼し、姿を消すところでテレビ版は終了となる。

 

【劇場版】

テレビ版の半年後、再び記憶を消していた滝沢朗は、前総理大臣の私生児として日本へ帰ってくることとなる。再会した森美咲やその仲間と共にセレソンゲームを支配している者を探し出し、ゲームを終了させるために滝沢朗が行動を始める。

 

 

敢えて相当ざっくりしたあらすじ。ぶっちゃけあらすじ知ってもしらなくても楽しめる作品だけど、一応重要な設定に触れておくと...

 

セレソンポルトガル語で「選ばれし者」

Mr.OUTSIDEなる謎の黒幕によって選ばれた12人の人間。セレソンになった者は「この国(日本)を正しき方向へ導く」義務を負うことになる。セレソンに選ばれた人間にはノブレス携帯が提供される。

「正しき方向」の基準はMr.OUTSIDEが独断で決めるので、一般常識的なものに限定されない。

次の条件に当てはまるセレソンはサポーターにより「的確な死」がもたらされる。

・任務を途中放棄して逃亡した場合。
・長期間ノブレス携帯を使用せず何の成果も挙げられなかった場合。
・100億円を自分のために使用し続けた場合。
・国(日本)を救う目的が果たせぬまま残金が0円になった場合。
この条件のもとにそれぞれのセレソンの行動をまとめてセレソンゲームという。

 

これだけの内容のゲームを成立させるためのアイテムが...

【ノブレス携帯】

セレソンに与えられるケータイ。最初に100億円分の電子マネーがチャージされた状態で与えられる。ジュイスという名のコンシェルジュに繋がり、彼女に願えば、物理的に可能な願いならほぼ何でも叶えてくれる。願いを実現するために必要な経費が電子マネーから差し引かれ、上で書いたルールのもとでゲームが進行されていく。

セレソンは他のプレイヤーの使用履歴を閲覧することができ、それをもとに駆け引きを行うことになる。

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まぁ、この辺の設定から物語を乱暴に説明すると、「100億やるから、それでどーしようもないところまできてしまった日本を救ってみせろ。」てな感じかな。

 

 

《この作品の面白さ》

ジャンル的には、サスペンスとかミステリーに分類されるこの作品。自分は相当に大好きな作品。好きな理由の一つがジャンルにとらわれない神山健治監督の時代の読み解きかた。この人の感性、S.A.Cもそうだけど、様々な世代のものの考え方とかをとてもフラットに捉えることができるのがホントに凄い。しかも他の人なら重く描写するような内容も作品のノリに合わせて上手に料理できる。

例えば当時はまだわりと新しいものだったニート問題。ニートたちをゴミとして切り捨てる側の立場の人間も描きながら、ニートを「搾取してきた者への新しいテロ行為」として肯定する側も描く。その頃の描き方としてはかなり新しいものだったイメージがある。

羽海野チカ先生の柔らかいキャラクターデザインも相まってめっちゃポップなタッチでなかなかに重厚な物語が描かれている。

 

また、この作品が作られた頃の技術的な特徴として、スマホがケータイとして普及し切る前の時代であること。ノブレス携帯もいわゆるガラケーの延長で描かれているんだけど、当時の技術で可能なこと、これから可能になることがいい塩梅で物語に組み込まれている。エデンシステム(作中の顔認証検索エンジン)とか、当時は実現されそうだよな、と思っていたものが今ではある程度現実のものとなっているのが今見るとかえって面白かったりする。

 

 

東のエデンの本質》

世代間の相互理解。これを意識して観ればこの作品の本質が見えてくるように思う。

主人公滝沢朗は昭和64年生まれ、いわゆるゆとり世代。就職難によりフリーターやニートで溢れ、上の世代からゴミ扱いされてると感じている世代。個人的に自分の年齢に近い世代なので気持ちがよくわかる。

一方、黒幕は団塊の世代以前の時代の人間。若者から老害と蔑まれて、年金の負担に迷惑がられる世代。

この2つの世代はどちらも悪し様に描かれがちなんだけど、この作品は他の作品とはちょっと視点が違う。

本作の若者代表の主人公は、搾取される側の積極的な行動としてニートを肯定してる。曰く、「アガリを決め込んだ大人たちのために働く必要ないよ。若者をほったらかして将来働き手が居なくなって困るのは大人たちの方だ。」これだけ見るとかなり過激な考え方。でも、消費される側の世代の人々にとっては共感してしまうところもあるんじゃないかな。

 

一方、黒幕側の老人側はというと...「じゃあどうすればよかったのか?」戦後のめちゃくちゃになった日本を必死の思いで生きてきて、ようやく次の世代へ引き継いでいこうかという時に、今度は世の中の仕組みの方が変わってしまった。今まで行ってきたことが間違いだったと言われ、『老害』という一括りにされて世間のお荷物として扱われる。

 

それぞれの想いは、個人的にはどちらも間違っては居ないと思う。まぁ、ここ数年で例の上級国民様の交通事故の報道を見てると、たしかに『アガリを決め込んだジジイ』に物申したい気分にはなるけど。

ただ、黒幕が最後に語る、「時代や国を作ってきたのは、名もなき敗者たちだ」という考えはどちらの世代にも通じることだと思う。いつの時代を必死に生きてきた敗者がいて、彼らもまたその時代を語る上で無視してはいけない人々だろう。

それこそ明治維新までは、この国の人間は自然とそれを理解して生きてきたのだと個人的に思ってる。ニートをただの塵芥として扱うのとは違うよなぁと。

 

 

また、滝沢朗のお金に対する考え方というのも、監督の物事の捉え方がよく出ていると思う。

「金の払い方は5歳のガキでも知ってんのに、貰い方は大人でも知らなかったりするんだよね。」「俺は金は払うよりもらう方が楽しいって社会の方が健全な気がするんだけどな。」

ある意味物語のきっかけとなるこの台詞。妙に考えさせられる台詞で、初見で1番印象に残っている。

 

こうした様々な物事の考え方をする登場人物たちの物語の結末は何とも心地の良い終わり方をする。

「だったら話し合おうよ」をさらっと流して終わる。お洒落で素敵な終わり方。物語に深く入り込めた人はとても清々しい気持ちで観終わることができると思う。

 

 

平成が終わり、令和という時代が3年目を迎える。もう今作の語ることも過去のものとなった。今の時期に本作を観ることには何かしら意味を持たせることが出来るんじゃないかなぁと思う。