映画の感想などなど

自分が観た映画の思ったまんまの感想。

すずめの戸締り

「すずめの戸締り」

監督:新海誠

主演: 原 菜乃華

公開:2022年11月11日

制作国:日本

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《1年経ってからの感想》

感想をその映画のブーム真っ只中に書くことができない人です。だいたい映画見終わった直後にも色々と感想はあるんだけど、面白い映画ほど感想をまとめ切らない。だから公開からしばらく経ってDVDとかサブスクで出た頃にもう一度観て、心に残ったものをまとめていくひと段落が自分には必要。

本作も公開2週間後くらいに映画館で鑑賞してたんだけど、先日Netflixで解禁されたのを機に改めて視聴することで、新たに気づいたことや感じたことがあったので書いてみる。

 

新海誠の新作として》

新海誠監督作品は一応大体観てる。

以前、この監督の作品で一貫して描かれているテーマは、『人と人との距離感』・『時の移り変わりと人の心』である。っていうことを書いた。「君の名は。」の大ヒットを受けてからもそれは変わっていないと思うけれど、今作は、「東日本大地震」という大きな題材をもとにメタ的にも物事の人による捉え方や感じ方の違いをかなり意識して作られてる気がする。それについてはまたあとで。

 

 

ココからはネタバレありで。

《現実をファンタジーを使って描く》

今作の大筋はこう。

宮崎に住む高校生、岩戸すずめ。彼女が偶然から抜いてしまった要石は日本で起きる災害(神様)を鎮めるためのものだった。このままでは日本に大きな災害が起きてしまう。それを防ぐために、呪いによって椅子の姿にされてしまった「閉じ師」の宗像草太とともに全国を旅していく。

 

このストーリーラインで、前作の「天気の子」や「君の名は。」との共通項を見つけることも出来るかと思う。現代の日本を舞台としてるところも同じ。

ただ、前2作との明確な違いとしては、「東日本大地震」をはじめとして、現代の実際に起きた大きな自然災害の被災地を直接描いていること。多分どんな感想を抱く人もここが明確なポイントだと思う。

※自分は本作の神話とのつながりや細かい考察は書かない。登場人物の名前や椅子の見た目から考えられることはあるけど、もう色んな人がそーゆー考察やってると思うし自分が書いても面白くないだろーし。

元々、新海誠監督のウリに、実際にある場所の風景描写の美しさがあるけど、それで被災地を描く。監督もそれが持つ意味をよくよく考えてやったんだろうなと思う。

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↑廃墟好きとしてはたまらん。

とにかく全国の様々な風景が写実的に美しく描かれているけど、絵に関しては気になることが一つ。

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↑こいつ。

物語の鍵を握るネコのダイジンと、すずめの母の形見であり、草太が閉じ込められる椅子。この2つは明らかに他のものと描き方が違う。ダイジンは明らかにわざと平面的なアニメチックな表現をしてて、一方椅子は他のものと違ってCGで飛び跳ねる。この2つは作品をポップにして、客がとっつきやすいようにする以外にも描写に理由があるように感じたけどどうだろ?

この2つのものから何となく監督の現実とファンタジーのバランスがまた少し変わったように思う。

 

《この映画の公開時期と日本の人達の認識の仕方》

この映画の感想を書くに当たって多分避けては通れないことなので、書いてみる。誰も見てないブログであっても、配慮しなきゃならんところもあるけど、当事者ではないので正直自信はない。

 

この映画、「君の名は。」に比べると、世の中の賛否は結構分かれてるらしい。否定の理由は概ね自分の予想通り。「実際に東日本大地震に被災した人々への配慮が足りない」「身内に被災者がいる、あるいは亡くなった身近な人が居る」「このテーマで映画を作るにはまだ早すぎるんではないか」といったもの。

ここで言っておくと、自分自身は新海誠監督の作品の中で、少なくとも「君の名は。」以降の3作品の中では最も名作だと思ってる。理由は後述。

でも、否定寄りの意見には納得出来る部分、そうだよな、と思う部分も沢山ある。まずはそこから。

 

自分は被災はしていない側の人間だけど、映画館で物語冒頭の緊急地震速報の音を大音量で聞いた時は、やはり当時の異常事態が思い起こされて映画館内で軽い動悸に襲われた。多分当時の様子を知ってる多くの日本人は自分と似たような感覚になったんじゃないかな?

同時に「被災者の人これ見て大丈夫か?」ていう思いもあった。それだけ東日本大震災はこの国に住む人にとって、あまりに大きな衝撃を与えたものなんだと再認識した。

映画を観ていくうちに、監督がそれを理解した上で、もの凄く色々な面で配慮して作劇してることには気づいたので、自分は落ち着いて最後まで観たけど、やはりこれまでに比べるとあまりに繊細な題材だった。

 

当時のことを思い出すと、自分はフリーター。バイト上がりのラーメン屋のTVで知った。そこから約3日間、ほとんど寝ずにニュースを見続けた。自分自身は遠く離れた場所なのに、世の中の決定的な何かが変わってしまうような気がして眠れなかった。日本全体が悲しみと不安で覆われた3.11。

これをどう物語に落とし込むか。相当悩んだはず。東北の方々がどんな感想を持つのか、誰よりも監督が不安だったと思う。

 

そんな中で自分自身ハッとさせられたことがある。

自分は立場上子供と接する機会が多いんだけど、その子供達との会話で気づいた。公開当時、もちろん中高生たちで観に行ってる子たちも沢山いた。「面白かった〜、感動した〜」っていう感想の中で、1人の中学生の女の子が言ったこと、「すずめってなんか投げやりじゃなかった?」

この言葉の意味を、改めて視聴した今になってわかった。主人公の岩戸鈴芽のキャラクター性はある意味鑑賞する側と絶対に共感できないように出来ている。

確かに物語の中で、前半のすずめはある意味投げやり、というか達観してる部分がある。

「死ぬのは怖くない」

「生きるか死ぬかは運でしかない」

というセリフ。

これに対して映画を観てる子供たちは共感することが出来ない。このセリフは震災を経験したすずめという主人公じゃないと言えないから。

実際にあの日、目の前で起きた出来事ですずめと同じ考えを持った人は1人や2人じゃないはず。

どんなにえらい批評家だろうが、被災した人でさえ、すずめと同じような死生観に至った人がいるかもしれないことを否定することはできないはずだ。あれだけの人数が犠牲になった出来事だから。

この部分が、賛否はあれど自分は価値のある映画だと思う理由につながる。

この映画の公開は2022年。震災から10年以上がたった。今年は2024年。これから中学生になる子供達は皆当時生まれてもいない。

そして監督自身もわかっていることだと思うけど、新海誠監督作品を観る層はメインが中高生。物語の舞台が2023年、すずめは17歳。

映画館に足を運んだ中高生と殆ど同じ世代の人間が、「自分は運良く生き残っている」と思ってしまうこと、家族や友達を失った人々が数えきれない程いるという事実。これを今の若い子たちが感じることってものすごく意味があるんじゃなかろーか。

正直、震災のドキュメンタリーだったりインタビューだったりを今の中学生が自分から進んで見るのは稀だと思う。興味がない子供にしてみたら「むかしのことでしょ、関係ない」と思うかもしれない。(言い方が悪くて被災された方々には本当に申し訳ない)

 

先述のすずめの死生観に気づいた中学生は、自分に当時の様子を色々と聞いてきて、すずめの「死ぬのは怖くない。」というセリフの持つ意味にちゃんと気づくことができていた。また、自分が当時ニュース報道を見ていた時のことも真剣に興味深く聞いてくれた。その女の子にとっては、多分、ただの青春ムービーではなく何かしらの意味をもって心に残ったハズだろう。被災した方々にとっては記憶を呼び起こして辛い思いをさせるかもしれない。でも、その中学生にとっては、絶対に今じゃなければ感じることができないものがあった。そういう意味では、この映画は、2022年この時期に公開することが大切だったんだと思う。

 

《物語の終わりについて》

少年少女が観る映画は、観終わって映画館を出た時にどこか爽やかな気持ちになって欲しい。これは個人的な思い。

旅を通して様々な人と出会い大切な人の存在に気づいて「死ぬのが怖く」なったすずめ。

旅の終わりに最後に閉める扉には「行ってきます」。そして物語の最後の言葉は「おかえり」。ロードムービーとして観るとなんとも前向きで爽やか。考えてみれば、『戸締り』って、今いる場所から出ていくためにやること、そして帰る場所があるからすることなんだよな。

 

やはり新海誠作品は良い。あと芹澤がやっぱめっちゃいい奴。

 

 

今回の感想は、自分が身近な子供との話から得たかなり個人的な意見、感想なので、現実の被災者に寄り添った感想じゃないかも知れない。申し訳ない。

少しでも復興が進むことを。そして犠牲者を減らす為に災害対策や耐震工事などで働いてる「閉じ師」に感謝を。