『そして父になる」
公開:2013年
監督:是枝裕和
主演:福山雅治
制作:日本
※今回は非常に難産で書いたのでまとまりがなく読みづらい。悪しからず。
〈概要〉
2つの家族の間に起きた新生児取り違えを描いた映画。カンヌで審査員賞を獲った作品であり、この年の日本映画ではかなり話題になった。昨年のカンヌでも「万引家族」がパルムドールを受賞して話題になった是枝裕和監督の作品。
〈内容〉
秋、エリート建築家の野々宮良多は、妻とともに6歳の息子慶多の小学校お受験の面接を受けている。父との関係を聞かれて子供は「山でキャンプに行って凧揚げを一緒にした」(嘘)と答える。
受験に無事合格し、私立の小学校に入学が決まった頃に、慶多を産んだ病院から「重要な話がある」と連絡が来る。同じ日に産まれた別の家族の新生児と出生時における取り違えが看護師によって起きていたという。
2つの家族が出会い、話し合いを重ねた末にお互いの本来の親元に引き取られることとなる。
というのが大まかな流れ。散々話題なった作品なんで、あらすじはこんくらいで十分。
〈是枝裕和監督作品〉
この映画は、あくまで自分の感覚でだけど、日本の映画監督の中では特に「色々わかってる」凄いと思う是枝裕和監督の作品。初めて観た時も思った通りの良さだった。久々に日本映画見るか!って思った時には自然とこの監督の作品に手が伸びる。
個人的にはこの監督の最高傑作は「奇跡」(2011)だと思ってるけどどうだろう?これの感想もいつか書くか。
最初に世間的に有名になった作品「誰も知らない」(2004)は、恥ずかしながらまだ観てなかったりする。次借りる予定。
この監督は、企画、脚本、監督、編集を自ら行うらしいんだけど、作品に一貫した空気感とかが感じられるのはそのせいかも。
この映画に関しても、音楽はピアノと環境音のみでかなり抑えめ。でも、風景の撮り方とか、俳優の顔が見えない角度でも表情が読み取れるような映し方とか、至る所で丁寧な映像が観られる。だからアドリブの多い撮影スタイルでも安心感持って観られる。こういう映画撮れる人って少ないんじゃないかな?
以下ネタバレ含む
〈2つの家族〉
家族① 野々宮家
父 良多(以下リョウタ):福山雅治
母 みどり:尾野真千子
息子:慶多(以下ケイタ)※野々宮家で育てられるが、DNA上では他人。本来は斎木家の息子。
こちらの家族は完全にエリート勝ち組。父はバリバリの仕事人間で、少々人を見下すところが見られるが悪人ではない。なにより福山。
高級マンションに暮らし、綺麗な奥さんは主婦で、子供に英才教育を受けさせる、まぁ一般的な日本人の感覚的にはかなり上流階級な家庭。
息子ケイタもいわゆるおぼっちゃまで心優しく育ちとても大人しい。やや無口。
家族② 斎木家
母 ゆかり:真木よう子
息子 琉晴(以下リュウセイ)※斎木家で育てられるがDNA上では他人。本来は野々宮家の息子。自由奔放に育てられて悪戯っ子。
兄弟 下に2人のちびっ子。
こちらの家族は極めて一般的な家庭。
小さな電気屋を営む家族で、3人兄弟を育てているのであまり裕福ではない。父母共働きで、少々金にはがめつい印象。母が家庭の主導権を握っており(これも一般的)、父は若干だらしないものの、子供といつも一緒に遊んでお風呂も一緒に入る「オモロイ父ちゃん」である。
〈血か、過ごした時間か〉
この作品の大きなテーマになってくるところ。
新生児取り違え事件を描いた作品ではあるけど、それをメインにした社会派映画...ではない。そもそも昭和40年代によく起きていた事件ではあるものの、現在は頻繁に起こる社会問題の類いであるとは言いにくい。
途中で裁判の様子だとか、看護師の動機とかも出て来るけどそれがメインとは言い難い。あくまで子を育てる親の気持ちと引き取られていく子の気持ちの方に焦点が当てられる。もっとも子供の気持ちについてはセリフになって現れることは殆どなくて、子供の仕草や態度でわかるような自然な見せ方だけど。この辺もすっごく丁寧。
自分が育ててきた子供が、実は赤の他人だと知った時、人はそれをどのように受け取めるのか。
劇中ではところどころでそう言った場面が出てくる。
物語の主人公、リョウタは父が再婚した相手に「お母さん」と言えないまま大人になっている。父を嫌っているものの「血」への考え方だったりはかなり影響を受けている。結構物語の根幹になる部分。
取り違えが発覚した後、妻に父と同じように、
「子供は血だ。相手の子供はどんどんお前に似てくるし、ケイタ(育てた他人)もどんどん相手の両親に似てくるぞ」(だからより辛くなる前に引き取ろう)
というニュアンスの話をして、本来の親元へ引き取ることを促す。
これも1つの真理。
事実、本当にこう言った事例では殆どの場合は本来の親元に引き取られるパターンになるらしい。特に日本人はとかく血や家系を大事にする文化が根強いし、早いうちに本来の形に戻すのが自然なんだろう。
一方で、母は自分がお腹を痛めて産んだ子供ではないことに気づかなかった自分を責める。この感情も絶対起きてしまうもんなんだろうと思う。
そして、観ていて個人的に辛い場面だったのが、野々宮家がリュウセイ(本来の子供)を引き取って、時間をかけて少しずつ家族としての絆を深めていた時の妻みどりの言葉。
「段々とリュウセイ(本来の子供)が可愛く思えてきた。それがなんだかケイタを裏切っているようで...」
と涙を流す。過ごしてきた幸せな6年間が大切だからこそ、育てた子供を捨てたような気持ちになる。これもどーしようもないくらいに人間の心理として当たり前。
「子供は時間だよ」「凧揚げを一緒にやってくれ」とかの印象的な言葉も1つの真理だと思う。
どちらの心情も理解できるからこそ、観ていてすごく苦しい気持ちになる場面がある。
〈自分なりの感想〉
自分なりの考えを書いてみる。ここからは個人的意見なので悪しからず。
この映画に登場する2つの家族に関してだけ言えば、「血か、過ごした時間か」、どちらをとったとしても正解だと思う。
実の子を育てても、他人を育てても、この2家族の子供は幸せになれると思う。
理由はどちらの親も形は違えど、子供を「見て、願いを持って、悩んで」いるから。
職業柄、自分は沢山の子供と接する機会が多いんだけど、どんな家でも子は親の鏡であると思う。どんな形の情であっても、親に対して子供は必ず何らかの反応をするものだと思う。
福山雅治演じるリョウタは、多くの人が見て最初イヤなヤツって言う印象を持つと思う。人を見下して子供に冷たい男って言うイメージ。
だけど、自分は正直そんなにひどい人間には見えないんだよなぁ。
とかく女性の視聴者は特に「子供と一緒に風呂入らないなんて可哀想。リリーさんの方の家族はあんなに楽しそうに親子で風呂入ってるのに!!」みたいな感想持つ人も居ると思うけどね。(男女差別的な発言で申し訳ない)
でもそれは少し違うと思う。
子供に厳しく躾ける、自分で何でも出来るようになりなさい、というのは親としてダメか?正しいかどうかは別として、この人なりに子供にこうなってほしいっていう願いがあるんだったら、それは愛情だと言えるんじゃないか?
誰だって子供が生まれたその時から父親として完成するわけじゃない。
リョウタは、子供を改めて引き取った後、どちらの子供にも心を痛めて悩み抜く。どうにかして実の子にも育ての子にも自分の愛情を伝え、「そして父になる」のである。
そうして育てられた子供は不幸にはならないと、個人的には思うんですよ。ハイ。
今の世の中そうじゃない親がどれだけいることか。親に本当の意味で向き合ってもらえない子供がどれだけ深く傷つくことか。
不器用でも何でも子供は親に見てもらいたい、接してもらいたいと思ってるんだ、ってことに育児放棄してるバカな親は気づけよこんにゃろう...(愚痴になってきたのでストップ)
〈物語の終わり方〉
リョウタは、最後に育てた息子のケイタに「ミッションはもう終わりだ。」と告げる。(本当の親に引き取られていくことを「ミッションだ」といい子供に納得させていた)そして、2つの家族が揃って家に帰る場面で映画は終わる。
この終わり方を明確に答えを出してないからと言ってモヤモヤを残して観終わる人も居るかもしれない。
でも、個人的には穏やかでいい終わり方だったと思う。
エンドロールは静かなピアノの音色をバックに子供の笑い声が響く。そしてその笑い声は1人分ではない。これは、この後どちらの子供を引き取ったんだとしても、どちらの子供も親に愛されて生きていくことの示唆だと思う。少なくとも自分には良いエンディングに感じられた。
ちなみに...
もっとシリアスで劇的な展開を見たいなら
「チェンジリング」(2008)クリント・イーストウッド監督、これを観てはどーかな?これは取り違えとは違うんだけど、実話のサスペンス。こっちは正直怖い。ゾッとする。
〈俳優について〉
この映画は福山雅治が初の父親役だってことで話題になったけど、まぁ、良かったんじゃないかなー。初めてこの人を俳優としてちゃんと観た映画だった。子供の為に悩む姿は案外良かった。
で、改めて思ったけど、是枝監督ほど「子役」を「子供」として撮影できる映画監督は日本には他に居ないと思う。そこは「奇跡」の感想で改めて書いてみようかな。